【オーナーストーリー】
数あるページの中から、私の自己紹介に目をとめていただき、本当にありがとうございます。
このページでは、磯野卓矢がどんな人生を歩んできたのか、できるだけ正直に、リアルに、そしてちょっぴり笑えるような形で綴らせていただきました。
人によっては「こんなこと書いて大丈夫?」と思われるかもしれません。 でも、これがウソ偽りのない“僕の歩いてきた道”です。
誰かの心に少しでも引っかかってくれたり、 「なんか、わかるかも」と思ってもらえたら、嬉しいです(^ ^)
それでは、肩の力を抜いて、ちょっと長いですがお付き合いください。
自己紹介 〜磯野卓矢ってどんな人?〜

地元の大多喜城
1981年9月14日、千葉県大多喜町にて、磯野家の長男として生まれる。
父は調理師、現在は「レストランハウスどんぐり」経営
母は美容師、「イソノ美容室」経営
妹は3歳下
の4人家族です。
血液型はA型の乙女座です。
●幼少期
・〇〇との戦い
よく話し、よく食べ、とにかく牛乳をゴクゴク飲んでいたそうです。
元気で活発で自由だったようです。
ただ、アトピー性皮膚炎だったため、顔や体を痒くて掻きむしってしまい、血だらけになることも。
そのせいで、手にはボクサーのようにタオルを巻かれ、「小さなファイター」のような姿で過ごしていました笑
(両親が色々な病院に連れて行ってくれたおかげで、そこまで酷くならずに成長していきました。)
・ワイルドな登園
両親が共働きだったため、2歳から6歳まで保育園に通いました。
(4年保育でした。)
登園の足は、なんと父のバイクの後ろ。
今考えると、なかなかワイルドな通園スタイルです。
また、祖父のバイクの後ろにもまたがっていた記憶があり、
どうやら物心つく頃にはすでに“バイク好きの血”が流れていたのかもしれません。
※20歳を超えたタイミングでバイクに乗り始めます。

・楽しかった記憶
当時、父は近所にある祖父母の肉屋で働いていました。叔父さん、叔母さんもいて、まさに家族総出の仕事場。
母は自宅の美容室で忙しく働いていたので、手が離せないときは肉屋に預けられていました。
肉屋には従兄弟も住んでいて、周りにはいつも大人がたくさん。
ワイワイにぎやかな環境だったので、寂しい思いをした記憶はほとんどありません。
その空間がとても好きでした。
そして、楽しみだった、おやつの時間。
肉屋のおやつといえば……
・揚げたてのコロッケ
・とろける甘さのコーンコロッケ
・サクサクのハムカツ
さらに焼き鳥まで!
これを頬張るのが何よりの楽しみでした。
(この“おやつ習慣”によりたくさん食べるようになり、後々の人生に響いてきます)
・人生最大の大失敗!?
そんな楽しい保育園時代の忘れられない事件があります。
それは、お遊戯会の日のこと。
当時の僕は「トイレに行く」と言うのが恥ずかしくて、なかなか言い出せませんでした。
「行きたいけど、みんなの前で言うのはなんか恥ずかしい……」
そんなふうに我慢していたら……間に合いませんでした。
いわゆる、おもらしです(涙)。
あの日の保育園の風景、保育室の形、先生の顔……すべて今でも鮮明に覚えています。
それくらい、僕の記憶の中に深く刻まれた事件でした。
この恥ずかしい経験をしたからこそ、
人の気持ちにも寄り添えるようになった気がしています。この経験が影響したのか、小学校に上がってからも「トイレに行く」と言い出すのが恥ずかしいまま過ごしていくことに……。
その話は、また後ほど。
そして、忘れられない思い出がもう一つ。
保育園の卒園式です。
母のセンス?
もしくは美容師としての趣向だったのか、白いスーツに真っ赤なネクタイという出で立ちで登場。
まるで自分が主役のような格好でした笑
実のところ、それを嫌だとは思わず、満更でもなかったような気がしています(笑)。


● 小学校低学年
大多喜小学校に入学。
友達も増え、明るく元気な毎日を過ごす。
・授業参観の黒歴史
小学校1年生の初めての授業参観。
国語の授業で、先生の質問に手を挙げた僕は…
「う◯こ!!」 と堂々と発言。
クラス中がドッカーンと笑い、僕も有頂天に。
しかし、ふと後ろを見ると 母の呆れたような、恥ずかしいような、怒ったような顔…。
「やらかした…」と悟った瞬間でした。
案の定、家に帰ってから母は 「恥ずかしい、もう行かないから」 と宣言されました。
この日以来、母が僕の授業参観に来ることはなかった・・・と自分では思っていましたが最近確認したところ来てくれていたようです笑
この出来事で 「ふざけていい時とダメな時がある」 ことを学び、空気を読む大切さを知りました。
・小柄でぽっちゃりでも明るく元気に
小学校の頃はクラスで並ぶ時は身長順でした。
僕はいつも2番目か3番目で、背が小さいことがずっとコンプレックスでした。
さらに、小学2年の夏休み。
アイスとジュース、そして小さい頃からのおやつ(コロッケ、焼き鳥)をたくさん食べるという生活により、太ってしまい“背が低くて太っている”という2重のコンプレックスを持つことに・・・。
それでも、走るのは速く、動きも俊敏。
明るくてポジティブな性格だったので、暗くなることはありませんでした(^-^)v
更に、近所の年上の先輩たちからは「ガリ」と呼ばれて可愛がられていました。
これは、当時のプロ野球選手・ガリクソンに似ていたからとのこと。
“デ◯なのにガリ”…なんとも不思議なアダ名でした(笑)

・失敗からの学び
この頃の僕はとにかく好奇心旺盛で、いろんなことに興味津々でした。
虫を捕まえるのも好きだし、知らない道を歩くのもワクワクする。
自分の中の「知りたい」「やってみたい」という気持ちが先に立つ、そんな子どもでした。
ある夏の日、父の用事について商店へ向かったときのことです。車で待っているように言われ、私は後部座席で待っていました。
けれど、日差しは強く、店先にあった冷凍庫のアイスがとても美味しそうに見えたんです。
じっとしていられなくなり、車を降りて冷凍庫の前に行き、気がつくと頭を突っ込んでアイスを取ろうとしていました。
そのとき、店内から出てきた父と目が合いました。
「おい、何してんだ?……どうしようとしてた?」
ドキッとしました。咄嗟に何も言えませんでしたが、父にはすべてお見通しだったのでしょう。帰りの車の中で、しっかり叱られました。
「人のものを盗むな。嘘をつくな。」
父のその言葉は、今でも胸に残っています。
たとえ未遂でも、“人のものを勝手に取ろうとした”という事実は消えません。その行動の意味、その重みを初めて自覚した出来事でした。
そしてこのとき学んだのは、
「嘘はいつか必ずバレる」
「人にも、自分にも、嘘をつかずに生きなさい」
という父の教えです。
この経験を通じて、「誠実に生きる」という価値観が、私の人生の根っこに強く根付きました。
誰かが見ていようと見ていまいと、正直でいること。それはこの出来事から始まった、自分の“生き方の軸”なのだと思います。
● 小学校高学年
・当時から多趣味?でした。
この頃からなんでもやってみたいという考えだったようで、
習い事やクラブ活動も色々経験しました。
剣道・書道・水泳(1日で終了)・英語(お菓子が目当て)・算数・公文式・ソフトボール・サッカー。
水泳は1日だけ参加して辞めた潔さ、
英語教室はお菓子がもらえることが最大の魅力でした(笑)。
動機が不純な小学生でした。
小学3年からは、宿題の多い担任先生の影響で“復習”の習慣がつき、
好きだった算数と理科は予習もするようになり、
成績も勝手によくなりました。
習慣が力になるということや、好きなことは覚えがいいんだなと実感しました。
・小学生時代に夢見たこと
4年生から6年生まではサッカー部に所属。
当時はJリーグ全盛期で、誰しもがJリーガーに憧れていました。
僕の卒業アルバムにも「3億円プレーヤーになる!」としっかり書いていました笑
今振り返っても、小学校時代はとにかく元気で楽しくて、ちょっとおバカで、でも自分に素直な子どもだったと思います。
そして、食い意地が張っていました・・・。
9月14日(食いしん坊の日)生まれなもので笑

顔がまん丸ですね笑
● 中学校時代
中学校も地元の大多喜中学校へ進学。
サッカー部がなかったため、がっかり・・・。
消去法でしょうがなくソフトテニス部へ。
これが想像以上に大ハマり!!
ここから3年間部活中心の毎日に。
(結果6年間続けます)
・夢中になれた毎日と、小さなつまずき
中学時代は、まさに部活中心の生活でした。
テニス部の練習はテスト期間を除けば毎日でした。
学校が終わるとすぐにコートへ直行し、帰宅後はネットに向かってボールを打ち続け、素振りを繰り返し、夜は親と一緒にナイターコートへ。
最初は一番下手だったと思います。
でもとにかく「もっと上手くなりたい」という一心で、
誰よりも努力を積み重ねました。
その結果、いつの間にか一番手として試合に出るようになっていました。
部活を通じて、「努力は報われる」とは少し違うけれど、“努力している姿勢”は誰かがちゃんと見てくれているということ、そして「やりたい」という純粋な思いが自分を一番伸ばすということを体感しました。
※しかも痩せました笑

気合いが入った顔をしています(^^)
その頃、毎日がまるで“遊びの延長”のように楽しく、
「学校に行きたくない」という気持ちがわからないほど、日々を全力で楽しんでいました。
そんな中で、印象深く心に残っている出来事があります。
中学1年のある日、クラスメイトから距離を置かれたことがありました。
一瞬、ハブられたような空気を感じたその原因は、自分自身にありました。
軽いノリでつけた「変なあだ名」が、相手を傷つけてしまっていたのです。
最初は素直になれず、謝ることをためらっていましたが、1日考えて「自分が悪かった」と心から思い、翌日、自分から謝りに行きました。あのときの“自分の非を認める勇気”は、今思えば“誠実さ”や“信頼される関係性”の土台になっているように思います。
●影響を受けた先生たちからの学び
・中学2年からテニス部の顧問になったA先生からは、
「練習の質と集中力が結果を変える」ということを、言葉ではなく“体感”として教わりました。
その姿勢は、今の自分にとっても大切にしている“丁寧な積み重ね”の原点になっています。
また、「目的と目標は違うぞ」ということも教わりました。
「目標」は試合で勝つとか、県大会に出るとか、結果に向けたもの。
でも「目的」は、なぜテニスをやっているのか? どうなりたいのか?
つまり、自分の“原動力”のこと。
この時の経験が、今も何かに取り組む時に、
「自分は何のためにこれをやるのか?」を自然と考える習慣につながっています。
・3年の担任だったT先生は、普段は穏やかで優しい雰囲気でしたが、いざという時にはしっかりと厳しさを持ち合わせており、「緩急」「メリハリ」の重要性を教えてくれました。
特に、体育祭の練習中に隠れって水を飲んで注意されたことは、今でも鮮明に覚えているほど印象深い出来事です。
・夢見る少年と観察者としての自分
部活で汗を流す一方で、放課後や休日には1人での時間にもどっぷりと浸っていました。
ガンダム、仮面ライダー、戦隊ヒーロー、マンガ、アニメ、ゲームの世界に没頭し、現実とは違う“もうひとつの世界”で空想を膨らませていました。
同時に、友達と外で遊ぶのも大好き。笑い合い、ふざけ合い、時には本気で競い合う。
インドア派でもアウトドア派でもない、自分のペースで両方を楽しむ少年でした。
テレビも大好きで、お笑いやドラマに夢中になる時間も、かけがえのない一部でした。
自分軸と、寄り添う姿勢のはじまり
この頃の自分は、まさに“自分のやりたいこと”に一直線。
興味のあることには全力で取り組み、面倒なことや興味のないことは、親に頼ることも多かったように思います。
また今思えば、自分は昔から“誰かの得意なこと”には強く興味を持つ一方で、それを自分も同じレベルまで極めようとはせず、どこかで一線を引いていたように感じます。
それは、負けず嫌いな性格や、「その人の世界を尊重したい」という思いがあったからかもしれません。
人の話をよく聞き、深入りしすぎないけれど、きちんと関心を寄せる――
今の自分の“寄り添う姿勢”は、この時期に自然と培われたものだったのだと、今になって氣づきました。
● 高校時代
・目標を失い、ぽっかり空いたスタート
地元・大多喜高校に進学。
小さい頃から「大多喜小・中・高」と地元で通うと決めていたので、入学は自然な流れでした。
ただ、いざ合格してみると、長く目指してきた目標が達成され、どこか気が抜けてしまうような感覚に。
「で、これからどうすればいいんだろう?ソフトテニスはやろうと思っているけど」と、自分自身に問いかけるような高校生活のスタートでした。
・部活は引き続きソフトテニス部へ。
ペアでの競技スタイルのソフトテニス、
僕は“一年生の一番手”として先輩とペアを組み始めました。
中学から地道に積み重ねてきた成果が認められたことで、
プレーへの責任感やチームワークの意識もより強くなりました。
やはりテニスが好きな事を再認識しました。

目つきが悪いですね・・・(^_^;)
そのテニス部で出会ったのが麻雀です笑
先輩に教わったのをきっかけに、ハマっていくことに・・・。
・麻雀に学んだ、勉強では得られない“感覚”の世界
高校時代1番夢中になったのが麻雀。
地元でもブームとなり、24時間交代で打ち続けるほどの熱中ぶり。
目線、手の動き、声のトーン、話し方、捨て牌の流れ、勝負の引き際、点数の計算──
普段の勉強では使わない感覚をフル活用し、「空気を読む」「流れを作る」「タイミングを見極める」といった、
今の仕事にも通じる能力を、自然と身につけていた気がします。
五感や直感を信じることの面白さ。
理屈ではない“感覚的な学び”が、自分の強みになると知りました。
・自分探しとサイバー系ファッション迷走期
中学時代は、部活と受験勉強一色だったこともあり、ファッションや流行にまったく触れてこなかった自分。
その反動もあってか、どこか「薄っぺらい」「何も知らない」と自分を卑下してしまう部分がありました。
そんなとき、友人の影響でハマったのが“サイバー系ファッション”。
全身のバランスにはとにかくこだわっていたものの、今思えばまったく似合っていなかったし、田舎の高校では完全に浮いていたと思います(笑)。
でもそれは、自分らしさ”を模索するためのひとつの手段だったようにも思います。
・クラスの団結力と、卒業式でのひと声
高3のクラスは、とにかく仲が良く、文化祭では背中に全員の名前を入れたTシャツを作るほどの団結力がありました。
そして迎えた卒業式。
「返事は全員、大きな声でいこう!」という提案に乗ったのはよかったものの・・・。
まさかの呼ばれる1番手が“磯野”だなんて!!
人前が苦手な自分には大きなプレッシャーでしたが、
「ここでビビっていたらダメだ」と腹を括り、
堂々と力強く「はい!!」と返事。
体育館にしっかり響き渡る声が出せて、
クラスメイトから褒められたのが、心から嬉しかったです。
意外と自分はやれるということに氣付き、自信になりました。
苦手を乗り越えた、小さな大成功の瞬間でした。
・免許試験でのプチ挫折と、“切り替え力”
高校卒業を控えた頃、運転免許の取得にも挑戦。
しかし実は、最終の試験で一度不合格に。
がっかりはしたものの、思ったよりも自分の切り替えは早く、
「まあ、次で受かればいいか」と、翌日に再試験に挑戦して合格しました。
この時の“動じなさ”は、昔からの性格なのか、それとも何度も試行錯誤を重ねてきた部活や麻雀の経験がそうさせたのか──
今でもはっきりとはわかりませんが、
「あ、自分って意外と粘り強いのかも」と思った初めての小さな氣付きだったように思います。
失敗は終わりじゃなく、立ち止まらずに動けば、ちゃんと結果はついてくるものですね。
●専門学生時代
・第一志望は不合格。でも、道はそこで終わらなかった
高校卒業後、目指していた第一志望の美容学校には残念ながら届かず──。
紹介で進学したのが、東京・代々木にある山野美容専門学校でした。
ただ、不思議と落ち込むことはなく、変なこだわりもなかったので、むしろ新たな気持ちでワクワクしていたのを覚えています。
「どうせやるなら、しっかり楽しんで吸収してやろう」と、前向きな気持ちでスタートした専門学校生活でした。
選んだ道を正解にするのは、やっぱり“自分の姿勢”。
・ 着付け、色彩、茶道…広がる“美容の世界”
授業では、カットやカラーの実技だけでなく、着付け、茶道、華道、メイク、ネイル、色彩学など、幅広い内容を学びました。
当時は「将来これが必要になるかも」という意識ではなく、
「なんか面白そう」「知らないことを知るのって楽しい」という気持ちが大きかったと思います。
特に着付けでは、最終的に師範資格まで取得。
友人の卒業式で袴を着せてあげられたのは、とても嬉しい経験でした。
実際の仕事で着付けをする機会はほぼなかったものの、“見る目が養われた”という意味では、大きな学びだったと思います。
・杉並区でのひとり暮らしと、遊びの価値観
当時は杉並区のアパートでひとり暮らし。
でも、東京に強い憧れがあったわけではありませんでした。
地元・大多喜が好きだったので、よく帰省しては友人たちと過ごす日々。
一方で、専門学校の仲間とも仲が良く、都内でも遊んでいたので、行き先よりも大事だったのはやっぱり「誰と過ごすか」ということ。
どこで遊ぶかより、誰と笑うか。
人とのつながりが、自分の“居場所”をつくっていました。
都会の洗礼と、信じすぎないという学び
東京での生活は刺激にあふれていた一方で、時には痛みを伴う“洗礼”もありました。
元々お人好しな性格だった僕は、人間関係で大きなショックを受ける出来事に直面。
それ以来、「人を100%信じ切らない」という、心の中のブレーキを持つようになりました。
それは疑うことではなく、“慎重に考える”ことを覚えたという意味での変化。
人との距離感や、自分の心の守り方を少しずつ学び始めたのも、この時期だったのかもしれません。
・就職活動で味わった挫折と、見えた“自分の輪郭”
2年生になると、まわりが一斉に就職活動を始め、次々と有名店に内定を決めていく空気に、正直焦りを感じていました。
そこで僕も思い切って、当時から全国的に知られていた有名サロン「カキモトアームズ」に応募。
面接にも挑みましたが、結果は不合格。
今思えば、目的も目標も曖昧なまま動いていた自分には、それも当然の結果だったのかもしれません。
ただ、その出来事をきっかけに「本当に自分は何を大事にしたいのか」を見つめ直すようになりました。
大切なのは、名前や知名度ではなく、自分の力を土台から育ててくれる環境だ。
そう氣付いた僕は、学校の進路指導の先生に相談し、「基礎からしっかり学べる」と評判のある都内のサロンを紹介してもらいました。
そのサロンで面接を受け、無事に合格。
派手さはないけれど、今の自分にはちょうどいい場所だと、どこかホッとしたのを覚えています。
●社会人時代①
・基礎から学べる場所で、美容師としての一歩
専門学校の先生に紹介してもらったのは、都内に4店舗を展開するサロン。
大型店もあり、教育体制も整っていて、基礎からじっくり学べる環境でした。
有名店ではなかったけれど、自分にとっては「派手さよりも自分に合った環境でがあるかどうか」が重要だったので、納得してスタートを切ることができました。
・感覚派のカリスマ店長との出会い
配属先の店舗には、世界大会で優勝経験のあるカリスマ店長が在籍。
自分は理論派・コツコツ型だったので、感覚で動くスタイルには最初かなり驚きました。
でも、その“言葉にならないセンス”に触れながら、自分の中の美意識の引き出しがどんどん増えていく、感覚の世界が開けていくようでした。
・多様なお客様とのふれあいが“人間力”を育てた
このサロンには、高級住宅街のマダム層から、下町らしい親しみやすい方々まで、実に幅広いお客様がいらっしゃいました。
また、大型店に異動になった際には、若い世代のお客様も多く、トレンドへの感度や対応力も磨かれました。
たくさんの年齢層・価値観・ライフスタイルに触れる中で、
単に髪を切るだけでなく、「相手に合わせて伝え方や接し方を調整する力」が自然と育っていったのを実感しています。
・スタイリストデビュー後の挑戦と広がる世界
スタイリストとしてデビューしてからは、
技術力と同時に“お客様と会話する力”の重要性に気づきました。
そして、さらに挑戦したのがセットの大会。
結果もついてきて、上位入賞。
「自分の手から生まれたものが評価される」喜びは、何ものにも代えがたいものでした。
さらにこのサロンでは、メイク技術、まつげパーマ、眉カットといった
トータルビューティーも学び、
「髪だけでなく、顔まわり全体の印象をプロデュースできる美容師」へと
一歩進むことができました。
ちなみに、この時期に中型二輪の免許も取得。
気づけば父と同じくバイク好きになり、今でも風を感じるのが好きな自分がいます笑
・転機の予感と、新たなご縁
気づけば7年。
安定した日々の中で、ふと「もっと他の世界も見てみたい」という気持ちが芽生えはじめていました。
そんなタイミングで、ひとつのご縁から、新しく立ち上がる個人サロンの話が舞い込みます。
慎重派だった自分が、不思議と「行ってみようかな」と思えたのは、
おそらくこの7年間で育ててきた経験と自信、そして“タイミングを掴む感覚”が働いたのかもしれません。
大きな決断ではありましたが、「ここで挑戦してみたい」と、自然に心が動いたのを覚えています。
●社会人時代②
・ご縁でつながった新天地、そして違和感
新しく立ち上がる個人サロンへのお話をいただき、「今なら飛び込める」と感じて動いた転職。
けれど、いざ働き始めてみると、すぐに違和感を覚えるようになりました。
雰囲気、考え方、人との距離感──
前のサロンと比べて何かが大きく違う。
「あれ、自分はこの空気に馴染めないかもしれない」と、内心では感じ始めていました。
“合う・合わない”は、能力ではなく“価値観”。
無理して合わせようとしないことも大切。
たった半年でしたが長かった時間・・・。
結果として、このサロンには半年で退職することになりました。
それは決して敗北ではなく、「自分の感覚を信じていいんだ」と確認できた経験でもありました。
一人ひとりが持つ「考え方」や「ものの伝え方」の違い。
人は、時に相手をコントロールしようとするし、意図せず傷つけることもある。
それを目の当たりにして、“人と距離をとる勇気”や、“決別の必要性”を学ぶことができました。
・ 初めての“決別”と、自分の頑固さとこだわりの再認識
この時、決別の決断を下したのは相手側でした。
自分から「離れる」という選択は初めてではありませんでしたが、
“相手から線を引かれる”という経験は、自分の中で大きな意味を持ちました。
そこで見えたのは、自分の頑固さとこだわり、譲れない部分。
でも、それを「直さなきゃ」とは思わず、“受け止めて組み直す”。
ぶつかりながら、自分自身とも対話する。そんな時間を過ごしていたように思います。
● 社会人時代③
・ゼロからの再スタート。そして16年の積み重ねへ
一度、仕事や人間関係において挫折を経験したあと、ご縁があって出会ったのが髪質改善を専門とする都内のサロンでした。
この時の自分には、「もう一度やってみよう」というより、“本当にゼロからやり直そう”という気持ちがありました。
キャリアは続いていても、心の中ではまるで新人に戻ったような感覚。
それでも不安はなく、「またここから積み重ねていこう」と静かに腹を括ったのを覚えています。
結果として、16年間、のべ1万人以上のお客様と向き合う時間が始まりました。
この積み重ねこそが、今の「髪を育てる美養室soil」につながっています。
・“けじめ”をつけるということ
新しい環境に身を置くことで、自然と“過去との距離感”を見直すタイミングも訪れました。
以前の職場の上司とのやりとりが続いていて、それがまた心の中に違和感を芽生えさせました。
その時に言われた前サロンのオーナーの言葉が、心に静かに響き、
関係を“整える”という感覚で、きちんと自分の言葉で区切りをつけたことで、前に進む力を、ひとつ得られたような気がしています。
手放すこともまた、前に進む力になる。
“関係を整える”という勇気が、次の道を明るくするという氣付きをいただきました。
・髪質改善の技術と、“思考する力”の深化
このサロンでは、クリニックカット®︎、特許増毛法®︎、髪や頭皮にやさしい薬剤選定、独自のカウンセリング法など、
髪質改善に特化した多くの知識と技術を学びました。
そして何より、自分の中で大きな変化となったのは、
「なぜこの施術をするのか?」「どう伝えるのか?」という
“思考の習慣”が根づいたこと。
お客様の言葉や反応の奥にある想いや心理を読み取って、
最適な方法を組み立て、納得していただけるように届ける──
その繰り返しの中で、自分は「ただ手を動かす美容師」ではなく
、“考える美容師”へと育っていったように感じます。
美容師は技術者であり、通訳者であり、寄り添う人。
・髪だけを見ていては、わからないことがある
たくさんのお客様と向き合う中で気づいたのは、
髪の悩みの奥には、立場や役割、生活習慣・体調・氣持ち・コンプレックス・など、さまざまな背景があること。
髪を整えることだけで、その人の悩みがすべて解消するわけではない。
だからこそ、自分は「髪の向こう側」に目を向けるようになっていきました。
美容師である以前に、一人の人間として相手に寄り添い、
「どんな思いで今ここに来ているのか」を大切に受けとめること。
そこに、この仕事の本質があると感じています。
・信頼を積み重ねることの意識
こちらのサロンでは、ただ流行を追うのではなく、「このお客様にとって何が必要か?」を考え、
“必要なことを、必要なだけ、誠実に届ける”という姿勢が自然と身についていきました。
【誠実な提案】と【日々のありがとう】の積み重ねを、
ずっと大切にしてきました。
●なぜ独立という道を選んだか?
・義父の病気をきっかけに、自分の人生と向き合う
42歳の頃、義父が体調を崩し、家族として向き合う出来事がありました。
その時間は、自分の生活を見直すきっかけにもなり、
気づけばふと、こんな問いが心に浮かんでいました。
「この先、自分はどんなふうに生きていきたいんだろう?」
どこか心の奥にしまっていた“不完全燃焼な想い”や、“もっと自分らしく生きたい”という感覚が、
静かに、でも確かに、動き始めた瞬間でした。
・「髪の毛そのもの」に向き合いたいという想い
髪質改善のサロンで長年働いてきた中で、感じるようになっていたのが、
「髪質」ではなく「髪の毛そのもの」に悩むお客様が増えてきたということ。
ボリューム、ハリ・コシ、抜け毛、薄毛、白髪──
見た目の仕上がりだけでは応えきれない悩みが、確かにそこにある。
そして、実は自分自身も20代後半から薄毛に悩み、様々なケアを試してきた一人でした。
「髪の悩みって、深く、とても心に影響する」
だからこそ、「このテーマには、ちゃんと向き合いたい」と思うようになっていきました。
自分が悩んだ経験は、誰かの悩みに寄り添えると思いました!!
・ 新しい出会い、そして深く突き刺さった“問い”
そんな時に出会ったのが、“髪育”という考え方でした。
それは、薬に頼らず、体の内外から髪の土台を整えるアプローチ。
一時的な変化ではなく、髪本来の力を引き出すという方向性に、心が動かされました。
その中で、ある方に言われたひと言が、今でも忘れられません。
「あなたは、どんな生き方がしたいですか?」
その瞬間、自分の中の何かが変わったような氣がしました。
“髪のために”ではなく、“生き方のために”髪に向き合うという視点。
それは、自分自身を取り戻すような問いかけでした。
・自分らしく生きるための決断
この問いに向き合ったとき、自然と心に浮かんだのは、
【自分で、自分の道をつくってみたい】という想いでした。
今までたくさんの人に支えられてきたけれど、
そろそろ、自分自身の想いを軸にして、一歩を踏み出してもいいんじゃないか。
長年担当してきたお客様にこう言われたことがあります。
「あなたがいると、なんだか安心するのよ」
この言葉が、僕の“人に寄り添いたい”という原動力のひとつになっています。
髪育を通して、お客様ともっと深く関わり、髪と心と人生に向き合える場所を、自分の手でつくりたい。
その想いが、独立という決断へとつながっていきました。
高校時代、外見で迷走していた僕は、いま、髪を通じて“内側の軸”を育てる仕事に出会いました。
探し続けた「自分らしさ」は、ようやく形になってきたのかもしれません。
髪は「外見」だけでなく「心の状態」「その人の人生の歩み」まで映し出す鏡。
だからこそ、“髪を育てる”ということは、“その人自身を育む”ことだと、本気で思うようになりました。
●美養室soilに込めた想い。
・soilという名前に込めたもの
独立を決意したとき、最初に考えたのは、「どんな場所をつくりたいか」ではなく、【自分がどう在りたいか】ということでした。
そこで辿り着いたのが、soil(ソイル)という名前。
土壌を意味するこの言葉には、3つの想いを込めています。
-
『素』が『要る』= 自分らしさを取り戻す
-
『素』を『射』る= 氣づきと習慣を届ける
-
『Soil(土壌)』= 頭皮を耕し、髪を育てる
この「素を射る」の“射る”には、自分の名前「卓矢」の“矢”の意味も込めています。
的を射るように、まっすぐに“その人の素”に届くような場所でありたい──
流行や表面的な美しさではなく、内側にある“素の自分”に光を当てる場所にしたい。
そんな想いが、この名前の真ん中にあります。
・ “美容室”ではなく、“美養室”という選択
もう一つ、大切にしたかったのが「美容室」ではなく“美養室”という言葉。
これは単なる造語ではなく、自分なりの「ありたい姿」を表すための表現でした。
美をつくる場所ではなく、“美しさを養う場所”。
髪を切る、染める、整えるだけでなく、
体・心・習慣・思考──人生まるごと整えていく空間にしたい。
美容室でも、治療院でも、エステでもない。
でも、どれとも深く関係しながら、「その人らしさが立ち上がる場所」をつくりたいと考えました。
・五感と自然をととのえる空間
美養室soilの空間づくりでは、「整える」よりも「ほどく」ことを大事にしています。
力まず、頑張らず、自然に呼吸が深くなるような場所。
インテリアには、木・土・水・植物など、自然の要素を散りばめ、
五感がふっとゆるむような雰囲気を意識しました。
美容成分や商材も、頭皮と体へのやさしさを最優先に選んでいます。
・髪を通じて伝えたいこと
soilで提供したいのは、髪を育てる施術や商材だけではありません。
一番伝えたいのは、
「自分の人生を、自分らしく生きていい」ということ。
髪の悩みは、自信や自己表現に直結するからこそ、そこを整えていくことが、その人の“生きる力”に直接つながると確信しています。
美容は手段でしかない。
届けたいのは、「自分らしく生きる力」。
今までの固定観念を変えるという信念を持って、お伝えしていきます。
・Soilの存在意義
お客様の髪の毛と体が健やかでい続けるためのお手伝いをしていきます。
・経営理念
“清く正しく誠実に”。
嘘はいつかバレるので、人にも自分にも嘘をつかず、誠実に向き合います。
幼少期の父からの教えは今も大切な信念です。
だからこそ、お客様には絶対に嘘をつかない。
そして、お客様のニーズをより一層製品や施術に反映し、価値あるサービスを創造し続けていきます。
・soilのこだわり「3つのK」
K:氣持ちよく・K:健康的で・K:結果の出ること
この3つのKを大切にし、お悩みを抱えるお客様の“希望の場”であり続けます。
おわりに 〜感謝とこれから〜
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。
改めて振り返ると、決して一直線な人生ではありませんでした。 迷いも、遠回りも、失敗も、たくさんしてきました。 でもその一つひとつが、“今の自分”という土壌をつくってくれたんだと、心から思います。
悩んだからこそ寄り添えることがあり、失ったからこそ築けた信頼もありました。
髪を通してできることには、限りがあるかもしれません。 でも、髪を通して伝えられることは、限りがないと信じています。
これからも、髪と心と人生に向き合いながら、 誰かの「自分らしく」を応援できる人でありたい。
挑戦する氣持ちを忘れずに。 感謝を大切にしながら。 そして何より、楽しむことを忘れずに。
100歳まで、美養師・磯野卓矢として走り続けます!
またどこかで、笑ってお会いできたら嬉しいです。 改めて、本当にありがとうございました。